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『君の名は』のヒットを素直に喜べない新海ファンって俺だけ?解けない『秒速5センチメートル』の呪縛

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RADWIMPSが紅白に出場し、年を超えても多くの人が映画館に足を運んでいる2016年度人気ナンバーワン映画『君の名は』。
あまりに話題になってしまったため、多くの著名人のコメントがつき、中には嫉妬心が伺えるようなものもあったため、今はこんなエントリーがはてな界隈で人気に。
fujipon.hatenablog.com

正直石田衣良のコメントについては、「みんなそんなに突っかからなくていいじゃん」と内心思っているのだが、もしかしたら石田衣良を某クラシック音楽番組でよく見ていたからというだけかもしれない。

何はともあれ、私は『君の名は』は名作であると主張したい。「聲の形」とか「この世界の片隅に」の方が名作だという声だって周りから散々聞いたけど、新海贔屓にとってそんな外野の声はどうでもいい。新海の美しい映像に、甘酸っぱいボーイミーツガールが見られたのだから。

でも、、、でも、『君の名は』のヒットを素直に喜べない気持ちもあるということも言っておきたい。(以下若干のネタバレあり)

どうしても『秒速5センチメートル』の呪縛から解放されない

『君の名は』の記事なのに『秒速』の画像が最初に貼られていた理由を、もしかしたら察知している人はいたかもしれない。映画公開一ヶ月後くらいにこんなエントリーがあった。
p-shirokuma.hatenadiary.com

このブログの筆者は、どうやら『君の名は』をみて『秒速』の呪いから解放されたらしい。彼は映画をみて「秒速がきれいな姿で転生した」と感じているようだ。

いずれにせよ、00年代の、こじらせ男子ナルシシズムのキモくて仕方のなかったエッセンスが、こうやって立派な姿に生まれ変わって、カップルや高齢者にも安心して楽しめる作品として愛好されていることが、私には嬉しくて仕方がない。

もちろん他人の感想に対してとやかくいうつもりはないのだが、私は違う感想を持った。つまり、『秒速』が転生してしまったことが、非常に悲しかったのだ。

この記事前半に書いてある『秒速』への愛は、非常に共感できた。「完璧に同じことを考えている人がいたものだなぁ」とまで思った。『秒速』が好きな私たちは、夢見がちでこじらせていてキモいかもしれないし、作品自体もそうなのかもしれない。だからこそ、新海作品はずっとそうであってほしかった。『君の名は』公開前は、『秒速』のような作品が観れるのではないかと期待していた。

しかし、その期待はいい意味でも悪い意味でも裏切られた。確かに『君の名は』は映画として非常に完成度が高い。映像は相変わらずの美しさだし、音楽も今風で爽やかで、演出も最高で何度も鳥肌が立った。でも、最後の最後まで心のどこかで『秒速』を追い求めていた。最後のシーンで、「ここで三葉と瀧君がすれ違って終わったら最高だな」と期待していた。でも、結局二人は結ばれてしまった。

むしろ、『秒速』の中にいたい

私が『秒速5センチメートル』を見たのは高校生の頃だった。同級生の友人に勧められて見てみたのがきっかけだったのだが、見事にどハマりした。こんなに美しい世界があるのか!と映像美に溺れ、感傷と鬱が混ざり合ったどうしようもない気持ちになる。何度も見た。自分が悩んだり嫌な気持ちになる度に見た。最近ではあまり見ることはなかったけど、当時は何度見たことだろうか。

色々とこじらせていた高校生の僕にとって、『秒速5センチメートル』の世界は永遠の理想郷となったのだ。あんな美しい世界に行ってみたい。高校生という時間を、みずみずしいものにしたい。種子島に行って、カブに乗りたい。山崎まさよしの「One more time, one more chance」を聞きながら、幾度となくそう思った。

「秒速はよくできた山崎まさよしのミュージックビデオ」なんてネットには書かれているみたいだが、私にとっては『秒速』は聖書のようなものだ。永遠にあんな世界にいたいなと思ってしまう。ずっと若くありたいなと思ってしまう。(3章は見て見ぬフリ)

何か遠いものへの憧れ。思春期特有のそれを具現化し、見事に私たちの前に提示したのが『秒速5センチメートル』だったと私は思う。新海監督には、そんな作品を作り続けてほしかったのだ。

『君の名は』は完結したストーリー

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『秒速』に私たちが溺れてしまうのはおそらく、『秒速』が完結していないストーリーだからなのではないだろうか。主人公とヒロインはすれ違ったまま物語は幕を閉じる。だから私たちは主人公の貴樹君がその後何を思うのか、あのあとどのように生きていけばいいのだろうかと色々思いを巡らせてしまう。

一方で、『君の名』は完結している。きっと三葉と瀧君は幸せな人生を送るに違いない。映画を見終わって二人が結ばれるところを見て、私たちはスッキリした気持ちで映画館を去ることができる。監督が言うように、『君の名は』は「結び」をテーマにした作品だ。ならば、最後に二人が結ばれるのは当然のこと。

しかし、現実は違う。私たち人間が生きている歴史というストーリーには結末がない。だからこそ、『秒速』は私たちにとってより現実味を帯びていて、何か深い感情をもたらしてくれるのだろう。

そもそも『君の名は』と『秒速』を比べること自体がおかしいのかもしれない

この記事を書いていて思ったのだが、そもそもこの二つの作品を比べて論じるのは全く意味がないことなのかもしれない。作品の方向性が全く違うし、監督自身でも色々な変化があったのだろう。でも、それでも比べてしまうのは、私が新海監督に『秒速』のような映画をもう一度作って欲しいと願っているからなのだと思う。

色々言ったけど、『君の名は』も『秒速』どちらも好きだ

『秒速』を引きずったまま『君の名は』を見てしまったため、正直『君の名は』は2度は見なくてもいいやと思っていたのだが、最近もう一度見てもいいかなと思えるようになってきた。やっぱり、『君の名は』は映像作品として非常に面白い。新海監督のテイストをよくあそこまで多くの人に受けられるものに昇華できたなと思う。

とにかく、彼の評価が高まったことで、彼の作品をこれからも見続けられることは確実だろう。私は彼を陰ながら応援しつつ、これからは、『君の名は』と『秒速』は別の作品として鑑賞したい。前者は「エンターテイメント」として、後者は「バイブル」として。

新海監督は『秒速』の呪いから解放されてしまったのかもしれないが、また『秒速』のような作品を書いて欲しい。(欲を言えば、海がテーマに絡んでくる作品を書いて欲しい)
この願いが監督に届くことを節に祈っている。